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緩和ケア病棟 - 父の最期

■2014年4月28日 

午前2時半ごろ、弟から電話がありました。

父の危篤の知らせでした。

24日のテールシチューパーティーのあと、
父は、安心したのか、急激に弱っていきました。

私たちは、5月の連休中に、また父を一時帰宅をさせる準備に
取り掛かっていましたが、父はそれを待ってはくれませんでした。

電話を受けた後、私と夫は、急いで宗像から車で病院にかけつけましたが、
父は息を引き取った後でした。
父の手をとると、まだ暖かく、本当にスヤスヤと寝ているようでした。

あっ。。。まだ、思い出すと涙が出てくるので、
ここからは、サラサラと行きます。

家族が最後のお別れをしている間、
病院のスタッフさんは、2時間ほど家族だけにしてくれました。
その後、「死亡宣告をしても、よろしいでしょうか?」と尋ねた後、
私たちの了承を得ると、お医者さんが来て、
一連の検査をして、死亡宣告がなされました。
1時間後には、死亡診断書を受け取りました。

それから、看護師さんから、葬儀社のリストを渡され、
どこの葬儀社を手配するのか、決めていただけますか?と、
言われました。

父は、典礼会館の互助会に加入していたので、
その旨を伝え、自分たちで、典礼会館へ電話しました。

典礼会館へは、看護師さんから聞いていたとおり、
南玄関へ午前11時に迎えに来てくださいと、伝えました。

また、このときに、決めておかなくてはいけないことが、ひとつ。

1. 直接、斎場へ父を送り出す。
2.一度、自宅へ帰り、仮通夜を自宅で行い、翌日、斎場へ送り出す。

(互助会の基本料金の中には、寝台車の使用は、1回の料金しか
含まれていないため、2 の場合は、追加料金が発生します。)

私たちは、2を選択し、一度、父を自宅へ帰らせてあげようと思いました。
また実際、葬儀の前日は、用意しなくてはいけないものが、
いっぱいあって、準備が大変なんです。
自宅の方が、準備が円滑にできました。

那珂川病院の緩和ケア病棟では、亡くなった後のお清めもしてくれます。
(つまり、お風呂に入れてくれます。)
以前から、死装束を準備しておいてくださいと、病院から言われていました。
昔だと、死装束といえば、白い着物と、頭に三角の布。というところですが、
今は、故人の好きだった服など、自由でいいそうです。
私たちは、いつも父が外出するときの服を用意しました。

お風呂からあがった父に、看護師さんが服を着せてくれ、
うっすらとお化粧もしてくれました。

その後、看護師さんから「お別れの会」をしても、よろしいでしょうか?と
聞かれました。
なんとっ!病院の父にかかわったスタッフさんが、みんな病室に
集まってくれて、一人ずつ、父との思い出を語ってくれたのです。
お医者さん、看護師さん、薬剤師さん、栄養士さん、入浴介助のスタッフさん。。
悲しい時間でしたが、とても暖かい時間でもありました。

それから、エレベーターのところまで、みなさんで見送ってくれて、
先生や一部看護師さんは、南玄関で私たちの車が
出発するまで、一緒にいてくれました。

普通の病院だと、亡くなった後は、安置室へ移され、
早く出て行ってくれと、せかされる話も聞きましたが、
ここでは、家族のために、最後まで病室でゆっくりと準備させてくれました。

本当に、最後の時間をこの病院で過ごすことができて、
父も幸せだったと思います。
スタッフのみなさま、本当にありがとうございました。

tag : すい臓がん 緩和ケア

緩和ケア病棟 - 3

■2014年4月24日

父の担当の看護師さんから、
「テールシチューパーティーをしませんか?」と、
話があったのが、4月12日ごろでした。

看護師さんが、父に何かやりたいことはないかと
尋ねたときに、父は得意料理のテールシチューを
もう一度、家族に食べさせてあげたいと、言ったそうです。

父は、このテールシチューのレシピをクックパッドに投稿していました♪

那珂川病院の緩和ケア病棟には、談話室の横に、
ミニキッチンがありました。
そこを使って、家族やスタッフさんも一緒に、父にレシピを確認しながら
テールシチューを作って、みんなで食べよう!!ということになりました。

それから、病院のスタッフさんも巻き込んで、みんなで準備をすすめました。
材料を買いそろえたり、圧力鍋を用意したり、
父も、その日がとても楽しみの様子で、少し元気になったようでした。

当日は、弟夫婦と、私とヤドカリ娘(私の娘)、それに母が参加しました。
弟夫婦の娘の姪っ子も、学校が終わってから、駆けつけてくれました。

そのときの様子はこちら ↓
(父のブログに私が投稿した記事からの抜粋です)

↓-------------------------------------------------↓

24日木曜日に、テールシチューパーティーをしました。

父が入院している那珂川病院の緩和病棟の
調理室を借りて、家族や病院のスタッフさんも参加して、
ワイワイと、とても楽しい時間でした。
父の笑顔を、いっぱい見ることができて、良かったです(^O^)

家族は、母と、息子夫婦(私の弟)、私とお嬢が参加しました。
1時から開始して、父の監督の元、みんなで野菜を切り、
味付けをして料理していきました。

お嬢と父の担当の看護師さんYさんとの対決 !(笑)
乱切りと言われて、「ランギリ?」と、固まったり、
「しいたけ、嫌い;」と文句を言ったり、お嬢は大変σ(^_^;)

父は、楽しそうに、そのやりとりを、見ていました。

テールシチューが出来上がったのが、5時過ぎで、父は少し疲れたようでしたが、車椅子からベッドにかえて、最後まで笑顔で参加しました。

父の前のテーブルで、みんなで「いただきます!」

先生は、シチューをお代わりして、カレーもペロリ!
父の提案で、2種類の味のシチューとカレーを作って、正解でしたww
看護師さんたちも、美味しい美味しいと、食べてくれました。
もちろん、私たち家族もお腹いっぱい、美味しくいただきました。

病院のスタッフの皆さま、特に担当のYさん、本当にありがとうございました。
おかげで、とても楽しい時間を父と持つことができました。

↑----------------------------------------------↑

緩和ケア病棟では、普通の病院と違い、
最後のひとときを、家族とともに過ごすことができたので
本当に感謝しています。

tag : すい臓がん 緩和ケア

緩和ケア病棟 - 2

■2014年3月28日

緩和ケア病棟に入院して、10日。
病院の車椅子を借りて、私の運転で、
近くの公園まで花見に、父を連れて行きました。

c0004734_847620.jpg
(父のブログより、桜の写真)

慣れない車椅子の操作に四苦八苦しながらも
父母と一緒に、楽しい時間を過ごすことができました。

■2014年4月12,13日

一時帰宅で、父が自宅に戻ってきました。
このころになると、筋力の低下や痛みなどで、
ブログの更新も、できなくなってきていました。
私が時々、父のブログを代わりに更新していました。

でも、自宅に帰ると、少し元気が出たようで、
夕食に毛ガニを出したら、美味しそうに少し食べていました。

■2014年4月19,20日

2回目の一時帰宅でした。
このときは、私は実家に行けなかったのですが、
弟がつきっきりで面倒を見てくれました。

このころになると、もう自分で立つことも
できなくなっていました。

それでも、母が作ったお雑煮を、美味しそうに食べてくれたと、
母がうれしそうに、話してくれました。

tag : すい臓がん 緩和ケア

緩和ケア病棟 - 1

■2014年3月18日

那珂川病院の緩和ケア病棟に、父が入院しました。

かなり胃のあたりが痛かったのでしょう。
病院の先生から、「入院しますか?」と聞かれ、
すぐに、「はい。」と、返事したそうです。

那珂川病院の当時の緩和ケアの病棟について、説明します。
病室は、全部個室で20室。
室料なし 13室 
室料あり  7室

追加の室料なしでも、個室で、
トイレ、洗面台、ソファー、冷蔵庫がついています。
また、インターネットはLANケーブル接続で無制限・無料で使えます。

また、家族の希望があれば、病室に寝泊りすることも可能でした。

c0004734_10585713.jpg
(父のブログより 病室の写真)

ナースステーションの前には、広い談話室があり、
定期的に演奏会なども行われていたようです。

申し込んで、すぐに入院できるわけではなく、
1ヶ月くらいの入院待ちだったようです。
父のように、在宅緩和ケアをしていて、
通院しているとすぐに対応してくれるようです。

職員の方は、みなさん笑顔がやさしくて、
最後を過ごす場所として、苦痛を少なく、
そして、やりたいことをできるだけかなえてあげようと、
一生懸命考えてくださいました。

担当の看護師さんとは、本当に何度もミーティングを行いました。

体調が安定していれば、外泊も退院も自由です。
退院の場合も、病院付属の訪問看護ステーションを利用して
看護サービスも受けられ、連絡すれば、
いつでも再入院ができるようになっていました。

tag : すい臓がん 緩和ケア

在宅緩和ケア - 父の場合

■2013年12月24日

那珂川病院の緩和ケアの外来を、
初めて受診しました。

入院の条件は、いろいろあるのですが、
第一の条件は、こちら ↓ (那珂川病院HPより引用)

1.主に、生命を脅かすと判断された悪性腫瘍の
 患者さんのケアを行います。

そのため、抗がん剤治療など、治療を行っているうちは
入院できないとのことでした。

父は、当面、抗がん剤治療を続けながら、
那珂川病院の緩和ケア外来で、
痛み止めを処方してもらうことになりました。

那珂川病院では、他にも頚動脈狭窄症の
治療も受けていました。

■2014年1月~2月

食欲がなくなり、体重も減少していましたが、
基本的な生活は、全部自分でできる状態でした。

食事、トイレ、入浴は、介助なく生活していました。
ただ、筋力の低下などで、着替えがうまくできず、
お風呂あがりには、母が体を拭いて、
服を着させてあげていました。

また、ノートパソコンを使ってのブログ更新は、
3月まで毎日続けていました。

tag : すい臓がん 在宅ケア

在宅緩和ケア - 要介護認定

■2013年11月28日

私のブログ記事(12月12日)からの抜粋です。

両親は、福岡市南区に住んでいるため
南区役所の向かいにある保険福祉センター2階の福祉・介護保険課で、要介護認定の申請手続きをしました。

受付カウンターに行くと、職員の方がにこやかに、
用件を聞いてくれ、早速手続きの概要を説明してくれました。

申請は、本人の他、代理人の申請も認められています。
ただし、代理人の場合、その後の認定のための訪問調査のときに、
一緒に立ち会わなくてはいけません。

本人の名前、住所の他に、病状病歴、
かかりつけの病院と先生の名前など、
以外と時間をかけて、ゆっくりと申請書類を作りました。

それから、「認定に家まで、職員が伺いますので、都合のいい日を」と
訪問日と時間を決めました。
これで、手続きは終了。

申請には、身元確認ができるもの
(今年からは、マイナンバーが必要)
印鑑、
かかりつけの病院の診察券など
病院の詳細情報がわかるものが必要です。

■2013年12月10日

10時半から、認定のための職員さん(今度は女性の方)の訪問調査。
父と母の2人分の聞き取りだったため、終わったのは、12時近かったです。

訪問調査は、終わりましたが、この後、認定されるのは
約1ヶ月かかるということです。

区役所の方から、主治医に意見書を作成してもらい、
介護認定審査会が開かれて、やっと
「非該当」、「要支援1・2」、「要介護1〜5」の
どれに当たるかが決定されるのだそうです

■2013年12月24日

区役所より、郵便で、要介護認定の結果通知書が
送付されてきました。

父は、要介護2、母は、要支援1

結局、父の場合、この制度を使うことはありませんでしたが、
在宅介護をする上で、手続きして損はありません!

tag : すい臓がん 在宅ケア

そのときの家族の状況

父は、すい臓がんが再発した後も
抗がん剤治療を継続していましたが、
同時に、那珂川病院で、緩和ケアの準備を始めました。

緩和ケアの話を始める前に、
最初に、家族の状況を説明したいと思います。

私の実家は、福岡市内にあります。
西鉄の大橋駅からバスで、15分くらいのところです。
父と母の二人暮らし。。。なのですが、
実は、私の娘も、居候していました。
福岡市内の方が、通勤に便利だから。

父は、ブログの中で、娘のことを
「ヤドカリ娘」と、呼んでいました。(笑)

食事の用意も洗濯も、おばあちゃんまかせで、
夕飯のお皿洗いしか、手伝っていなかった娘ですが、
彼女の天性の才能で、二人を毎日笑わせてくれました。
いわゆる「天然ボケ」というもので。。(;^_^A

何かと、暗くなりがちなはずなのに、
明るく過ごせたのは、彼女の存在が大きかったです。

私との連絡役にもなってくれて、とても助かりました。

私の住まいは、宗像市にあって、
実家まで、高速を使って車で行くと1時間~1時間半、
公共の交通機関を使うと、2時間半くらいの距離です。

ちょうど、2013年は、夫が単身赴任中だったので、
私は、月の半分は、実家に滞在していました。
(夫は、2013年11月に、戻ってきました)

私の弟家族も、福岡市内に住んでいて、
車で10分くらいの距離でした。
仕事で、海外出張も多い弟でしたが、
福岡にいるときは、休日ごとに実家に来てくれました。
男手が必要なときなど、本当に助かりました。

さて、こんな状況の中、年が明けた2014年1月。
私が、癒着製イレウスで、1ヶ月半入院してしまいました。
そして、3月はじめには、夫が盲腸で入院。
まったく、なんということでしょう。。。です。(;^_^A

癒着製イレウスとは、以前、開腹手術をしたために、
おなかの臓器が、癒着して、小腸がねじれ詰まってしまう病気です。
2013年、私はイレウスの発作を4回ほど起こしました。
すっごく痛いです!!!

入院手術で、8キロも体重が落ちてしまって、
2月くらいは、本当にきつかったです。

最後は、愚痴になってしまいましたね。。。(;^_^A
ずっと、そばについていてあげたかったけど、
それができなかった後悔が、今でもあります。

介護というのは、まず介護する側の人間が
健康であることが一番です。
でも、そうはいかないのが現実ですよね~

tag : すい臓がん 緩和ケア

すい臓がん - 再発

■2013年11月27日

九州がんセンターを受診した結果、
父のすい臓がんが、再発していることがわかりました。

私もそのとき、一緒に付き添っていたのですが、
先生に見せられたCTの画像には、
すい臓の部分切除の断面や、肝臓に、
無数の小さな点(がん細胞)が散らばっていました。
ショックでした。

先生からは、在宅の緩和ケアを勧められました。

私が、あまりにつらそうな顔をしていたのでしょう。
診察室から出て、廊下の椅子に座ったとき、
父から
「もう80年生きたんだから、いいんじゃないか?」と
言われました。

私が慰めなくてはいけないのに。。。

■2013年12月6日

父は、あきらめませんでした。
少しでも延命になるのだったらと、抗がん剤治療を再開しました。
すごい人です。

その時の父のブログからの抜粋です。↓

↓-----------------------------------------------↓

昨日九州がんセンターの再診日で体調が好いので
抗癌剤治療再開してみようということになりました。
どうせ全治はありえないので先生も割合気楽に
あれこれ試してみようという雰囲気です。(笑)

昨日今日はどおってことありませんが三日目くらいから
副作用が出るかもしれないということでした。

これから毎週一回診察と点滴を受けます。

先生から大塚製薬の「インナーパワー」というのを
薦められましたが、未だ楽天でもアマゾンでも扱ってないし、
大塚製薬の通販サイトは登録が面倒臭いので
今日は止めにしました。

↑-----------------------------------------------↑

この後も、病院通いが続きました。
父は、毎日、ブログを更新していました。

■2013年12月27日

九州がんセンターを受診したときの父のブログから抜粋

↓-----------------------------------------------↓

昨日は九州がんセンター再診
9:30~12:30 相変わらず長々と待たされる。
点滴の注射右で一回失敗左一回でOK。
看護師さんからブログのこと訊かれました。
注射が下手でも親しみを覚えます。
次回は2014年1月9日10:30~

↑-----------------------------------------------↑


tag : すい臓がん

すい臓がん - 抗がん剤

■2013年9月26日

退院後、最初の通院のときに、先生から抗がん剤の話がありました。

私自身の経験で、抗がん剤は、とてもつらかったので、
父には同じ思いをさせたくなかったのですが、
先生の勧めもあり、抗がん剤を始めることにしました。

その時の様子を、父のブログから。。↓

↓--------------------------------------↓

九州がんセンター退院後一回目の再来です。
外科の先生の意見
「膵臓がんは再発の可能性が高いから抗癌剤治療受けたほうが良い。」
消化器内科の先生の意見
「80歳過ぎたヒトに抗癌剤治療は普通しないけれど
患者が元気ならしたほうが良い。試しに一番軽い抗癌剤してみてはどうか?」
ということで一番軽い 抗癌剤を
半年間試してみることになりました。

↑--------------------------------------↑

■2013年10月3日

抗がん剤を始めて13日目。
父の調子もよく、副作用も出ていなかったので、
抗がん剤を増量することになりました。

■2013年10月17日

抗がん剤を増量してから、2週間後。
九州がんセンターを受診した際、
また抗がん剤の増量の話が出ました。

父は、これ以上は、増やしたくないと言い、
結果、増量するのは、やめましょうということになりました。

*******

私個人としての意見です。

再発予防の抗がん剤は、本当に必要なのでしょうか?

たとえば、規定の量を守って、欠かさず抗がん剤を続け、
副作用も耐えられて、体力も落ちなかった場合。
再発を抑える効果が、50%とします。
(100%再発を抑えられる抗がん剤は、存在しないと思います。)

しかし、副作用が強くて、抗がん剤の量を規定より減らしたり
一時的に、服用を休止した場合、
再発を抑える効果は、限りなく0%に近くなるのです。

私は、大腸がん(ステージ4)の手術の後、
服用するタイプの抗がん剤を飲みました。
しかし、規定の量では、副作用が強くて、
続けられなかったため、一時休止した後、
1/3の量の抗がん剤を服用しました。

結果として、8ヵ月後に、再発しました。

ちなみに、乳がん(ステージ2)の手術の後も、
予防のための抗がん剤を服用しました。
これも、一番軽い服用タイプの抗がん剤だったのですが、
副作用が強く出て、量を調節しながら、6ヶ月続けました。
。。で、乳がんは、再発しませんでした。

その時の状況など、いろいろあるでしょうが、
先生の言われるままに服用するのではなく、
自分で考えて、答えをだすことも必要かと思います。

tag : すい臓がん

すい臓がん - 退院

最初、父がうまく歩けなくなっていることもあり、
那珂川病院に、転院という方向で
話が進められていましたが、
父のがんばりで、退院が認められました。

■2013年9月14日

九州がんセンターを退院しました。

父の部屋は、2階にあったのですが、
さすがに、2階の部屋は、家族全員反対したため、
父もしぶしぶ1階の和室に、落ち着きました。

介護用ベッドを入れるという話も出たのですが、
父が絶対反対で、お布団がいい!!と言い張り
ここは、父の意向に沿う形で、お布団になりました。

いろいろ話し合いながら、
父にとって、一番いい環境をと、思っていたのですが、
いや~~ホントに、頑固で。。。(T_T)

このころ、少しずつ食欲も回復してきて、
大好きなお饅頭や、あんぱんは食べるようになってました。
おかずを、やわらかくて、消化のいい物に工夫して
母がいろいろ頑張っていました。

やはり、生きるということは、食べることが基本なんですね。
美味しそうに食べる父を見るのは、本当にうれしかったです。

tag : すい臓がん

すい臓がん - 術後

■2013年8月23日

父は、ICUから、一般病棟の二人部屋へ移りました。

痛み止めを点滴でずっと打っていたのですが、
この痛み止め、幻覚幻聴が現れることがあります。
うつらうつらとした術後の寝ている状態で
ちょっとリアルな幻聴(または夢?)のために
本人は、現実のことだと信じてしまいます。

父の場合、病院でボヤ騒ぎがあり、
新聞にも載って、先生たちも話していたと。。
もちろん、こんなことはありませんでした。

実は私も、大腸がんの手術のあと、
この幻聴を経験しました。
母がお見舞いに来ているときに、
看護師さんの話し声が聞こえたと思ったのです。
母に何を言ってるの?という顔をされて、
とてもとまどったのを、覚えています。

他にも、オバケが見えて、怖いという患者さんもいました。

痛み止めには、こんな副作用があることを
知っておいたほうがいいと思います。

父は、他にも、とても物忘れが多くなりました。
これはたぶん、極度の緊張で、
それでなくても頚動脈狭窄症で、血の巡りが悪いのに
脳への血流が減ったせいかもしれません。

■2013年8月29日

21日の手術後、初めての食事が出ました。
おもゆと、お吸い物と牛乳です。
父は、まだ痛くて、食欲はないようでした。

また、リハビリも始まりました。
まずは、立ち上がる練習から、
そして、歩く練習へ

80歳という年齢は、本当に大変です。

父は、入院中も、ノートパソコンを使って、
ブログを更新していました。
病院だとそこらへん厳しくて、ダメなんじゃないかと思ったら、
80歳のおじいちゃんには、みんなやさしかったです(笑)

病室で、どうどうとノートパソコンを使ってましたし、
看護師さんから、「すごいねー」と褒められて、
父はとても喜んでました。(;^_^A

tag : すい臓がん

すい臓がん - 手術

■2013年8月16日

手術前の説明がありました。

実は、私も一緒に聞く予定だったのですが、
前の晩に、イレウスの発作が起こってしまい、
とても付いていける状態ではなかったので、
弟に行ってもらいました。(お盆の期間でよかった。)

c0004734_13372447.jpg

上の図は、父のブログから持ってきたものです。
胃の裏に見える黄緑色の細長い臓器がすい臓です。
その右側の紫色のが、脾臓。

父のがんは、めずらしくすい臓の尾部にできていて、
他には転移も見られませんでした。

そのため、手術はすい臓の半分と、脾臓を取るというものでした。

ちなみに、脾臓。
免疫器官として、かなり重要な臓器です。
また、血液をきれいにするフィルターの役目もしています。

「がんを手術で取り除く」と、簡単に言いますが、
その後の生活を考えると、大きなリスクも背負うことになります。


■2013年8月21日

午前9時から、3時間の手術でした。

病院の家族用待合室で待ちながら、
「私の手術のときも、私の家族は、こんな気持ちで
ここにいたんだなぁ~」と、申し訳なく思ってみたり。。(;^_^A

手術は、無事に終わり、父は2日間 ICUに入りました。
後に聞くと、父はICUでの記憶が、まったくありませんでした。
たぶん、痛み止めの効果ということでしょう。
(ちゃんと、私と会話していたのですよ)

tag : すい臓がん

すい臓がん - 症状

すい臓がんの症状は、とてもわかりにくいと言われています。

■ 父の場合

1. 胃の横、わき腹がなんとなく痛い。
  激痛というわけではないけれど、
  特に食事の後、痛かったようです。

2. 食欲がなくなる。
  痛みのせいもあると思いますが、
  すい臓が消化液を出せなくなったのも原因かも。

他に、私が大腸がんで入院していたときに、同室になった
すい臓がんの方の例です。

■ Aさんの場合

Aさんは、50歳代の女性で、乳がんの手術も受けていました。
定期的に、乳がんの検診は病院で受けていました。

あるときから、背中が痛むようになり、最初は、整骨院に通ったそうです。
しかし、いつまでたってもよくならないので、もしかしたら?と、
がんセンターで、検査してもらったそうです。
結果は、即入院。がんは、かなり大きくなっていました。

その後、Aさんは抗がん剤治療をして、がんを縮小させた後、
手術でがんを取り除きました。
手術は、胃、十二指腸を切除した大掛かりなものだったようです。
私が同室になったときは、もう退院間近で元気に歩き回ってました。

■ Bさんの場合

Bさんは、60歳代女性。
すい臓がんの症状は、何もなかったそうです。

胆石ができたので、病院でCT検査を受けたところ、
後ろのすい臓に、がんが発見されました。
がんは、まだ小さく、手術で取り除きました。
初期でも、やはり胃、十二指腸を切除した手術でした。

私が同室になったときは、まだ術後で苦しそうでした。

tag : すい臓がん

すい臓がん - 検査

九州がんセンターは、実家から車で5分ほどの場所にあります。
なので、手術前の検査は、なるべく通院しながら行うことにしました。

■2013年8月7日

PETは、がんセンターにはなかったので、
福岡和白病院PETセンターへ、
九州がんセンターまで、迎えの車に来てもらい
父がひとりで、検査を受けに行きました。

検査料は、保険がきいていても、3万円!
でも、かなり待遇がよかったみたいで、
父はご機嫌で帰ってきました。(笑)

■2013年8月14日 入院

入院してから、内視-ERCP検査をする予定となっていました。

聞きなれない検査でしたので、詳しく聞いてみると
すい管にチューブを入れ、すい液を1日採取して、
すい臓がんであるか、確認するというものでした。

80歳の父には、つらい検査のようでした。
しかも、その検査の目的が、すい臓がんであることの確認。
先生に尋ねるとがんであることは、九部九厘間違いないとのこと。
なら。。必要ないんじゃない?

特定指定病院のルールで、がん以外の手術は
できないようになったということでした。
私が入院していたときより、めんどくさくなってる(-_-メ;)

検査は、拒否できるということでしたので、
父と話し合って、拒否することにしました。

入院して手術してもらうのですから、
必要な検査は、しなくてはいけないし、
そのほうが、自分のためにもなります。

でも、その検査をしなくても、いいのであれば
そこは、先生と話し合って、判断するのもいいのではないでしょうか。

tag : すい臓がん

すい臓がん - 発見

■2013年7月29日

父がすい臓がんかもしれないと、診断されました。

実は、4月に入院していたときも、わき腹の辺りが痛いと
ずっと言っていて、お医者さんにも伝えていたのですが、
さすが脳神経外科!何もしてくれませんでした。。。(;^_^A
(胃薬をもらっただけ)

その日の父のブログの記述です。

↓-----------------------------------------↓

実は最近左上腹部に痛みを感じていたので
那珂川病院で7月10日に腹部CT検査受けたのですが
担当の先生がこの時の画像と2年前にたまたま受けた
胸部CTの膵臓部分画像が微妙に違うことに気付き
今日の造影CTをやってくれたのではっきり腫瘍の
あることが判ったのです。

この腫瘍がガンである確率は高く
膵臓がんの5年後生存率は極めて低いので
パパハポンもどうやら
年貢の納め時が来たのかもしれません。

↑-----------------------------------------↑
(「パパハポンの宇宙船地球号サバイバル作戦」より
パパハポンは、父のハンドルネームです。)

この那珂川病院は、実家から歩いて5分のところにあり、
そこそこ大きくて、父のお気に入りの病院でした。
ここで、九州がんセンターへ紹介状を書いてもらい
後日、受診することとなりました。

この九州がんセンター。
そうです。私が、がんの手術のために、3回も入院した病院です。
父の診察のときも、母と一緒に付き添いました。

tag : すい臓がん

頸動脈狭窄症 -2

■2013年4月18日

父が、救急車で運ばれたときの様子です。
(過去の父のブログからの抜粋です。)

↓------------------------------------------↓

夜、2階の父の部屋から、私を呼んでいるらしき声がしたので、
私が部屋に行ってみると、ろれつが回らない口調で、
「体が動かない。。」と、父が言うではありませんか。

もう、それから大騒ぎで、母を起こし、119番して
症状を説明して、すぐに救急車に来てもらいました。
父は、こんな風になっているにもかかわらず、
「救急車は、おおげさだ。タクシーでいい」と
ろれつが回らないのに、文句を言う始末で。。

でも、救急車で病院に向かう途中で、だんだんと症状はおさまり
右手の麻痺も消え、口調もしっかりしてきました。

病院の先生は、「とりあえず、落ち着いているようなので、
しばらく安静にして、様子をみながら、検査もしていきましょう。」と、
言って、入院が決定しました。

↑------------------------------------------↑


入院して、頚部エコー検査などいろいろ検査して、
頸動脈狭窄症と診断されたのですが、
処置としては、高脂血症の薬と血液をサラサラにする薬を
処方されただけでした。

頸動脈狭窄症の治療としては、ステント留置術や
血管を切り取って、入れ替えるなどの手術もあるのですが
父の年齢から、それは無理ということでした。

そして、4月27日に、父は退院しました。
(入院期間 9日間)

下の写真は、父のブログより拝借♪
病院の敷地を散歩していたときに撮った
マンホールの写真です。

c0004734_3565583.jpg

ただ。。散歩というのは、たてまえで、
実は、病院の敷地の外に出て、
タバコを吸いに行っていたのです。
まったく。。。(-_-メ;)

頸動脈狭窄症 -1

今年4月28日、父の3回忌です。

父が救急車で運ばれたのが、3年前の4月18日。
頚動脈狭窄症による一過性脳虚血発作(TIA)でした。

その後、父はすい臓がんであることがわかり、
翌年の4月28日に逝ってしまいました。

このごろ、やっと落ち着いてきて、
静かに父のことを思い出せるようになりました。
この機会に、父の病気や、緩和ケア、葬儀について、
覚書を残しておこうと思います。

あまり詳しい思い出を書くと、まだ苦しくなってしまうので
軽い本当に、覚書程度の文章にしようと思っています。

タイトルの「頸動脈狭窄症」

頚動脈というのは、心臓から首を通って、
脳へ血液を運ぶ重要な血管です。

この血管が、コレステロールなどで狭くなった状態が、
頸動脈狭窄症です。

父の場合、2本の頚動脈が、2/3ふさがっていました。
私が医師に「ちょっと狭いですね」と言うと、
「だいぶ狭いです!」と、言い直されました。(;^_^A

■頸動脈狭窄症の原因

父の場合、一にも二にも、喫煙ではないかと思います。
20歳のときから、80歳まで、60年間タバコを吸い続けていましたので。
その反面、お酒は1滴も飲めない人でした。
めっちゃ甘党で、あんぱんが大好きでした(笑)

それと、高脂血症です。
父は、この高脂血症の治療はしていませんでした。
私も母も、このとき初めて、父が高脂血症だと知りました。

■頸動脈狭窄症の症状

あくまで、父の場合ですが。。。

1. 上を向くと、めまいがする。
   「庭の木の剪定を頼むと、倒れてしまうので
   頼めない」と、母がよくこぼしていました。
2. 少し歩くと息切れしてしまう。
   スーパーに買い物に行ったときなど、
   途中で座り込んでしまうことがありました。
3. 食事のあと、寝てしまう。
   食事のあと、テレビを見ながら、いつのまにか寝てました。
4. トイレで用を足したあと、めまいがして、動けなくなる。
   これは、本人が黙っていたので、入院するまで
   そんな症状があったことを家族は知りませんでした。

これだけ症状があったのですが、頸動脈狭窄症を
疑ったことは、1度もありませんでした。
年のせいかな。。とか、タバコの吸い過ぎで、
肺が弱ってるんじゃないかとか、
知らないってことは、怖いことです。

入院する前の4月10日の父のブログには、こんな記事が ↓

↓----------------------------------------------↓

最近 立眩みに悩まされています。
最大の原因が運動不足ということは自覚していますが、
ちょいと運動すると息切れするので、ついつい動かなくなってしまいます。
喫煙(COPD)も関係あるようです。

↑----------------------------------------------↑


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